1920年代のChicagoに戻って、南部からChicagoにはいった"Dixieland-Jazz"のそれからを追ってみましょう。
"Chicago's Apex Club"のハウスバンドの1928年の演奏です。
リーダーはクラリネット奏者の
"Jimmie Noone"
" I Know That You Know"は
"Vincent Youmans"作曲Broadway musical "Oh Please!"
での演目曲です。
シカゴでジャズがブレイクした1920年代は”ローリング・トゥエンティ―ズ”と
呼ばれた時代です。”Jimmie Noone”はこの時代のJazzをリードした”Joe "King" Oliver”
のバンドに所属しその後1926年に"Chicago's Apex Club"のバンドリーダーに就きました
その後NewYorkでClubをやろうとNewYorkに移ります。
しかし1929年は世界大恐慌の年です。上手くいかなかったのでしょう、またChicagoに戻ってclubをわたって演奏をしました。
”Broadway”は演劇の地として非常に有名ですが、1752年にWilliam Hallamが280人ほどの観客席をもつ小屋でシェークスピアなどの古典を上演したのに端を発します。
その後独立戦争(1775–1783)を経て1793年に2000席の"Park Theatre"ができ、
1845年Bowery Theatre、と続き1850年頃からミュージカルが演じられました。
現在の”Broadway”の地区に劇場が集まったのはそのころからです。
ということは大衆に好まれた音楽文化はミュージカルの演目として1840年代からあったのです。もっとも入植した白人の文化であった側面はあるものの
1898年には"A Trip To Coontown"が黒人中心で上演されています。
Jazzは1920年に高級クラブ”Cotton Club”がNewYorkにできて、その中心をNewYorkに移していきます。”Cotton Club”はMilesDavisの作品にも名前が使われているヘビー級ボクサー"Jack Johnson"がオープンしたのですが、ギャングが1923年に所有権を手に入れ
多くのJazz演奏家が出演しました。ハウスバンドはDuke Ellington楽団です。