YESのオリジナルメンバーでありながら、5枚目のアルバム
"close to the edge~危機~1972"
の後YESを脱退したBill Brufordのその後を追います。
Bill BrufordはもともとJazzを聴いて音楽・楽器を始めたようです。YESもJazzをやるのかと思って参加したと発言していますので、強力に構成されて再現性重視のYESのLIVEに耐えがたくなったのかもしれません。
一方で「クリムゾン・キングの宮殿」を1969年に発表して成功したKing crimsonは
メンバー間の音楽性のずれで1枚発表しただけで分裂します。ギターのRobert Frippは
1枚目のリリカルでシンフォニックな作品からアグレッシブでJazzyな作品に移行したかったようで、2枚目"IN THE WAKE OF POSEIDON",3枚目"LIZARD",4枚目"ISLANDS”
とメンバーを固定させず、流動的にミュージシャンに声をかけて
アルバムを制作しました。
しかしメンバーが固定しないと演奏活動にも支障がでます。4枚目"ISLANDS”を発表
してKing crimsonは解散するのです。
そのような状況の中で"Fripp"はYESをみて"Bruford"のプレイに自分のアイデアが現実にできるという実感を得て"Bruford"とKing crimsonを再編します。
5th『太陽と戦慄』6th『暗黒の世界』7th『レッド』の3枚のアルバムを発表しますが
再び1974年King crimsonは解散します。
この頃の"Bruford"の演奏は1975年発表のライブアルバム『USA』を聴くのが
良いでしょう。
1974年のKing crimson解散後"Bruford"は自分の名を冠したユニットを立ち上げます。
1977年に"Feels Good to Me"を発表。1979年に2枚目"One of a Kind"を発表。メンバーは
Allan Holdsworth – electric guitar
Dave Stewart – keyboards, synthesizers
Jeff Berlin – bass
Bill Bruford – drums,percussion,
70年代はJazz界ではJazz rock,そしてContemporary Jazz-Fusionへと
発展とひろがりを見せたJazzの進化に重要な時期です。
この曲は1979年発表されています。これ以前にContemporary Jazzの名作が
60年代終わりから70年代にかけて多数生まれています。
次回からはそちらの方を見ていきます。