"Woody Guthrie"は1912年に生まれ1926年14歳で母が他界、17歳の時一家離散します。しかも1929年に
世界大恐慌が起き、非常に厳しい環境の中臨時雇いの労働者として放浪生活を送ります。
さらにストライキなどの労働運動に雇われる経験も多かったようです。
その中で彼は1930年代当時に必要とされたラジオ放送演者としてギターを弾き、腕を磨いたようです。
1930年代の米国を大きな自然災害が襲いました。中西部の巨大砂嵐~ダストボール~
です。これは自然現象を無視して農地開発をした結果に起こった人的大災害で、
中西部の農業が崩壊し350万以上の農民が離農しカリフォルニア州などへ
移住したのです。
その状況を描写し残したのはJohn Ernst Steinbeck(小説家)であり、
Dorothea Lange(写真家)ですが
"Guthrie"は "Dust Bowl Ballads"と名付けたアルバムを1940年に発表します。
砂嵐の状況のもとでの人々の生活、特に移住先での差別を歌ったこのアルバムは
最も古いコンセプトアルバムとして知られています。プロテストソングのパイオニアの原点となる作品です。
"Tom Joad"はこのアルバムにて1940年に発表されました。
"Woody Guthrie"の初商業アルバムでもあります。
歌詞の翻訳を公開します。翻訳:Jazzdrumclub
Tom Joadの仮釈放の日 殺人の罪で4年の罪を経て Tommyは道を歩いてくる Tommyは道を歩いてくる
Tommyはトラックのドライバーに会い 彼を車に乗せると言った。
McAlesterからでてきたところさ、殺人の罪ではいってたんだ 殺人の罪でね 殺人の罪でさ。
砂嵐の中をトラックは進んだ。 Tommyは家にむかった。
途中で牧師のCaseyに出会い、彼らは少し休んだ。 でもTommyの家の中には彼の家族はいなかった。 Tommyは彼の家族が居なくなってしまったことを知った。
Tommyは母の古い靴をみつけた。 父の帽子も 角のない子牛をみつけた。 子牛は「彼らはトラクターで出ていった」と言った。
隣の農場にいった。 Tommyの家族がいた。 彼らは牧師のCaseyに掴みかかって車に乗り込み ”私たちはここを出てかなきゃなんないんだよ 私たちはここを出てかなきゃなんないんだよ”とTommyの母は言ったんだ。
Joads家の12人は大きな決断に迫られていた。 祖父のJoadは泣いたんだ。 彼は一つかみの大地の土を掴み上げ ”死ぬまでこの農場に居る。 そうさ死ぬまでここにいるんだ”と言った。
家族は祖父に少しの骨付き肉とコーヒー、すこやかな糖蜜を食べさせた。 そして祖父のJoadは亡くなった。 家族は祖父を道端に埋葬した。 祖母はカリフォルニアの側 彼らは祖母をカリフォルニアの側に埋葬した。
彼らは丘の上に立ち、西部を見た それは約束の地のように思えた。 緑の谷に川が流れ たくさんの仕事にあふれているさ、彼らはそう思った。 たくさんの仕事にあふれている、そう思ったんだ。
Joads一家は避難キャンプにころがりこんだ。 そこではシチューがつくられていた。 おなかをすかしたキャンプの子が言った。 もう少し食べたいな もう少し食べたいな。
保安官代理が男に発砲したが外れて うしろの婦人に当たった もう一度打とうとした直前 牧師のCaseyが保安官代理に掴みかかった。 Caseyが保安官代理を彼の車の中に押し込んだ。
奴らはCaseyに手錠をかけて牢屋に放り込んだ。 でも彼は逃げ出した。 そうして古い橋の上で牧師のCaseyはTommyにであったんだ。 そしてCaseyは言った。 こう言ったんだ。
「私は神の国への道をといてきた。 富と貧困についてといてきた。そして貧しき農民よ 団結しよう なぜならば私たちに救いの道はもうない もう救いの道は訪れないのだ。」
保安官代理がやってきた。Tommy と Caseyは逃げた。 川にかかる橋へ逃げたんだ。 でも自警団のちんぴら野郎がこん棒でCaseyを殴った。 彼らはCaseyを地面にころがした。 彼らはCaseyを地面にころがしたんだよ。
Tommyは保安官代理や自警団の奴らに捕らえられた 彼らは彼を殴りつけた。 暗く雨の中、Tommy は戦った。 そして自警団の奴とCaseyが動かなくなった。 2人の男が死んでしまった。
Tommyは急いで寝ている母のもとに戻った。 彼は母をおこして Tommyを愛してくれた母にお別れのキスをしたんだ。
牧師のCaseyがおしえてくれたように言った。 牧師のCaseyがおしえてくれたように言ったんだ。
”全てのひとはひとつの魂で繋がっている。 そう、その道は僕にも繋がっている。 昼でも夜でもお母さんが見るもの全てに 僕はいつもいるよ。 何処にでもいるよ。
幼子がおなかをすかして泣くならどこであろうと 人々が自由になれないならどこであろうと 人が自分の権利をもとめ戦うところにはどこであろうと 僕はいるんだ、母さん、 どこにでも僕はいるんだよ。”
この"Woody Guthrie"の感性はPete Seeger, Bob Dylan,そして
Bruce Springsteenに受け継がれ、彼が労働者の生活に根差した作品を発表する
ことへ繋がっているのです。