"Spft Machine"8枚目のアルバム
"Bundles"から"Gone Sailing"~ラストまでです。
結成は1966年で最初はpsychedelic rockのスタイルでしたが、4枚目のアルバムから
JazzRockに移行します。
"Bundles"は"Allan Holdsworth"がギターに就いて最初のアルバムでその存在感を充分に発揮しています。
1967年のSoft Machineの
"She's Gone"です。全く違うサウンドです。
第一次大戦、そして狂騒の1920年代は社会、芸術および文化の転換期でした。
第一次世界大戦の後でジャズ・ミュージックが勢いをつけ、女性のファッションとして"フラッパー"という流れが興り、1929年のウォール街の暴落で世界恐慌の時代に
突入するという、まさに混乱と変化の時代。
製造業の成長と消費者需要の拡大が大衆消費の資本主義社会の基盤をつくったのです。
また、ラジオ、映画が盛んとなりそれがまた文化を勢いづけさせる基盤となりました。
1950年代になって
"William Burroughs"に代表される”ビート・ジェネレーション”と呼ばれる作家たちが
アンダーグラウンド社会で生きる反社会的若者の世界を描きました。
若者、特に知性ある若者は伝統・制度などの既成の価値観に疑問を抱き文化に反映させました。このような社会情勢の中で"psychedelic rock"が生まれてきたのです。
"Soft Machine"は世界を放浪していたヒッピー"David Allen"を軸として
オックスフォードの学生やその周りの若者たちによって結成されました。
英国アンダーグラウンドシーンの中心だったUFO Clubに出演していましたが、ここは
Pink Floyd・Jimi Hendrix・The Graham Bond Organisation・Procol Harumらも出演し
"オノ ヨーコ"氏も活躍の場としていたようです。
"Soft Machine"という名前は"William Burroughs"の著書のタイトルを彼に許可を得て使用したようです。
1960sになると50年代からはじまったベトナム戦争に
米国のケネディー大統領が積極的に関与を強め、
ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始しました。
そのことが米国西海岸で生まれたヒッピー文化の”自然と愛と平和とセックスを愛す”
という主張への大衆=若者の共感を高めることになり、
"psychedelic rock"のムーブメントは1969年のウッドストックフェスティバルの開催
に発展します。
一方で、音楽そのもの、演奏そのものへの意識を強く持った者たちは
"Jazz rock"へ移行していきました。
因みに1969年にはJazzシーンからこの作品がリリースされます。