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執筆者の写真jazzdrumclub

名曲千夜一夜物語-482~"Shipbuilding"-Elvis Costello-1983

更新日:2021年1月8日


アルバム"Punch the Clock"収録

Elvis Costello - Vocal,guitar,synthesizer

Bruce Thomas - Bass

David Bedford - String arrange

Steve Nieve - Piano,Organ

Pete Thomas - Drums

Chet Baker - Trumpet solo



composed by Clive Langer,words by – Elvis Costello


-Shipbuilding-


Is it worth it?

A new winter coat and shoes for the wife

And a bicycle on the boy's birthday

いい稼ぎになるだろうか

妻には新しい冬のコートと靴を

子供の誕生日には自転車を


It's just a rumour that was spread around town

By the women and children

Soon we'll be shipbuilding

それは町中に広がったただの噂

女や子供達が広めた

もうすぐ造船が始まる


Well I ask you

The boy said “Dad, they’re going to take me to task

But I’ll be back by Christmas”

まったくひどいもんだ

息子が言った

「父さん、フォークランド紛争へ行かされることになった。

でも、クリスマスまでには帰るよ。」


It's just a rumour that was spread around town

Somebody said that someone got filled in

For saying that people get killed in

The result of this shipbuilding

それは町中に広がったただの噂

誰かが言うには

誰かがひどい目ににあったらしい

この船をつくることで人が死ぬことになるんだぞと言ったら


With all the will in the world

Diving for dear life

When we could be diving for pearls


精一杯の気力を振り絞り

必死になって海に潜る

真珠を採りに潜ることだってできるというのに


It's just a rumour that was spread around town

A telegram or a picture postcard

Within weeks they'll be re-opening the shipyards

And notifying the next of kin

Once again

それは町中に広がったただの噂

届くのは電報か、それとも絵はがきか

数週間のうちに造船所は再開され

次の親族にまた通知が届くのだ

ふたたび


It's all we're skilled in

We will be shipbuilding

おれたちに出来ることはこれしかないのだ

船を造ることになるだろう


With all the will in the world

Diving for dear life

When we could be diving for pearls

精一杯の気力を振り絞り

必死になって海に潜る

真珠を採りに潜ることだってできるというのに

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1982年3月からイギリスとアルゼンチンのあいだで3ヶ月に及んだ

戦争~フォークランド紛争~がありました。


『運が良ければ帰ってくる(絵葉書)、そうでなければ死亡通知(電報)

人を殺しに行く船をつくりに造船所で働く。

そしてそれは息子を戦地にいかすことになるのだ』


1983年その真っただ中にいた"Costello"の切なる想いをこめた反戦歌です。


息子が語った言葉『でも、クリスマスまでには帰るよ。』は

第二次大戦の時、英国軍人が参戦時に使った言葉なのだそうです。

しかし実際にはクリスマスまでには帰れなかった。

ずっと帰れなかった人もいた。


"Robert Wyatt"のヴァージョン

最初は彼に渡した曲でした。







動画内で"Robert Wyatt"が車椅子であることがわかります。

彼はドラマーとして"Canterbury rock"派のミュージシャンとして活動していましたが、

1973年に事故で半身不随になり、その後シンガーとして活動したのです。

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